2015年12月4日金曜日

波動関数の収縮 - 哲学的な何か、あと科学とか

量子は、粒子としての性質と確率的な波としての性質とを併せ持つ。

二重スリットへ電子を照射した場合、一方のスリットだけを通る電子の到達点が、もう一方の通らなかったスリットの存在に左右される。この到達点の分布は、電子を波とみなした場合の波の強度の分布と等しい。

もしスリットが一つならばこの干渉は起こらない。

そのことから、電子(量子)は確率的な波として存在することが明らかとなった。


この現象は、量子はあくまでも観測するまでは確率的存在であり、観測して初めて位置が確定するという解釈で説明できる。これが「コペンハーゲン解釈」である。

これ以外の解釈もあり得るが、一つの解釈ということだ。

この感覚的に説明出来ない解釈を揶揄し、量子の位置により毒ガスが流れる箱の中の猫は、観測するまでは、死んでもいて、かつ生きているというのか、と言うのがシュレーディンガーの猫という話である。

位置を決定するのが人間の観測そのもの、人間の認識の特異性を前提とする解釈もあるが、これこそ不自然だ。観測や人の認識が位置を決めるのではなく、仮に人間そのものが確率的波の中に存在するとするならば、その一つの確率に存在する人間が決まった位置を観測できる、というのは非常に自然な解釈である。

これを是とするのが多世界解釈てある。

http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/slit.html

現在は過去から確実に影響を受け、未来は確率的であることは明らかなのだから、仮にその逆の伝搬、すなわち確率的存在、可能性の存在が、現在の次元に影響を与えるということがあっても、何ら不思議なことではないだろう。

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