私の世界観

世界はビックバンから始まった。少なくとも今ある世界は。

宇宙は膨張している。そして膨張の果てに物質同士は相互作用ができなく成り、無の世界がやってくる。ただし完全な無ではなく、確率的にエネルギーは創起し、物質となり、そして再びビックバンという特異的な事象がごく稀に起こるのだろう。

今ある世界は、3次元でも4次元でもない多次元世界である。それは、量子のレベルで現れる。

光は光子としての粒子の性質がある。これは4次元の中で移動する。しかし光子は波としての性質を併せ持つ。

この波としての性質は、光子だけではなく、電子を始め比較的重い原子も持つことが発見されている。

波とは何か。何の波なのか。これは電子の二重スリット実験で示される。

電子は、電子が進む途中、一つのスリットがあれば、特定の場所にしか到達しない。

しかし電子は、二つのスリットがあると、一つのスリットしか通過しないにもかかわらず、あたかも透過しなかったもう一つのスリットを通る波との干渉を仮定した到達点に達するのだ。通過するのが電子1個であるにも関わらずだ。

一つのスリットしか通っていないはずの電子の到達点が、もう一つのスリットを通る波の影響を受ける。ではもう一つのスリットには何が透過しているのか。

これは物質の存在の可能性が通っているとしか言えないだろう。

観測すると到達点で一つの粒子として観測されるが、その存在・位置は、観測する前は存在の可能性に過ぎないのだ。

この量子の振る舞いは何によってもたらされるか、科学的に誰も証明するとができていない。あるのはただ解釈のみである。

ある人は、コペンハーゲン解釈として、人間の意識が特定の粒子として観測しているのだ、としている。観測そのものが粒子化をもたらすというのだ。しかしながら人間の意識が物質を粒子化する、という解釈は非常に難解だ。受け入れられない。

一方で、観測する人間は、量子と同じく存在の可能性の中におり、可能性の数だけ世界がある、そして観測する人間は、特定の世界だけにいるため、観測するとその世界の粒子だけが見える、という解釈がある。これが多世界解釈だ。

この解釈であれば、人間の意識が量子へ影響をもたらすという、難解な世界ではなく、人間もまた量子の観測で見ることができる可能性の波の中にいるのだという、シンプルな世界感のなかで事象解釈することができる。

多世界解釈の中で、世界を見るのであれば、人間もまた可能性の波の中に生きており、可能性から影響を受けていることになる。

現在は過去から影響を受け未来に可能性があるように、未来の可能性から現在が影響を受けることは、単なる逆伝搬であるからなんの違和感もなく受け入れることができる。これはエントロピーが増大する宇宙に置いて、エントロピーを減少させる生物という情報的存在があるのと同様なことだ。

では何故多世界が「解釈」なのかといえば、その存在を証明することができないからだそうだ。しかし未来から現在への干渉を観測することができさえすれば、それは多世界を単なる解釈ではなく、理論へと導くことができる。


多世界解釈を、解釈から理論に導くキーは、恐らくダークマターだろう。

ダークマターは、一般には現在知られている物質とは別の量子であり、現在知られている
量子と重力のみで干渉すると解釈の中で議論されているが、果たしてそうだろうか。
現在の新たなダークマターの仮説は、ダークマターは単一の量子ではなく多様な量子であり、銀河と同様なダークディスクを形成しているというものだ。それが現在の銀河の形成をうまく説明できるからだ。

ダークマターに多様性があり、現在知られている物質と同様な世界を形成しているとするのであれば、何も別の量子と捉える必要もないように思える。つまり、二重スリット実験で観測される量子の時間軸(可能性)での干渉が、重力の世界でも働いている、そう考えて仮説を組み立ていく方が、正解に早く到達できるような気がするのだ。 

もし、世界がそのような(多世界干渉)状態であった場合、数々の実験や仮説がそのような結論に行き着くには、まだまだ長い検証と仮説の再構築が必要なように思う。 

そしてそのような多世界干渉が確認できた場合に実現するのが、それら干渉を使った多世界同士の通信だ。もしかすると早くその結論に達した別世界からの通信が先にやってくるのかもしれない



=>多世界と人間
多世界のうち、現在の世界に今いるわけだが、多世界の他の可能性については、本来観測することができない。

しかしながら、人間は一部の可能性、特に収束すべき世界については経験や理論から想像(シミュレーション)することができる。

収束すべき世界については、一つは因果関係によりほぼ到達するであろう世界と、複雑系として現在からは収束は見切れない世界がある。

複雑系は、多次元方程式の解に見られるように、複数の収束点があり、特定の状態に収束するものの、一定のエネルギーを持って別の収束点に到達することができる。

複数の収束点がまださざなみのような状態であれば、一定の行動を持って、何も行動しない場合とは別の世界に到達することができる。

このさざなみを、シミュレーションを通じ見極め、一定の行動をとることができるのが人間である。

その時間軸を含めたシミュレーションの正確さと、一定の行動を通じ、意図した世界を得ることができる場合がある。

可能性の世界と複雑系の世界の中でどう振る舞うか、それが人生なのだ。


=>企業・国・国際社会
 企業経営者・政治家は、組織、国家もしくは国際社会は複雑系であり、状況の変更のためには、特定の変数への強い引力による、特定解からの脱出が必要であることを、そろそろ理解しなくてはならない。

0 件のコメント: